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レスキューデス

 

 救助のミスにより要救助者を死なせてしまうことをレスキューデスと言います。助けられるべき命が失われてしまうわけですから、ぜひとも避けなければならない事態です。

2012年11月、積丹岳で起きた遭難者死亡事故について、これがレスキューデスなのかが争われており、札幌地裁で判決が出ました(現在は高等裁判所で審理中)。

 判決は、まず、救助隊は専門的な知識を有するので、救助方法は具体的な現場の状況の中での救助隊の選択に委ねられるが、明らかに合理的と認められない方法をとったときには違法と評価される、つまり責任を負う場合があるとしました。その上で、今回のケースでは救助隊が要救助者を発見し、徒歩で下山する際に、踏み抜き等危険性の高い雪庇近くのルートを選択したことも気象条件や要救助者の状況からすれば許されるとしても、雪庇近くを通るのであれば、踏み抜き等によって滑落することのないよう細心の注意を払わなければなかった、そうであるにもかかわらず細心の注意を払ったとはとても言えない状態で進行したのだから、合理的な選択としたとは認められず、違法であり、結果、雪庇を踏み抜き、要救助者を死に至らしめた責任を負わなければならないと判断しました。

 判決が救助隊に責任を認めたことについては批判もあるようです。遊びで山に登って遭難したのだから自己責任だ、助けに来てくれた人に責任を問うなど恩をあだで返すようなものだ、という印象を受けるのかもしれません。確かに、救助隊にとっても厳しい環境の下での救助活動だったのでしょうし、遭難自体も慎重に行動していれば避けられたのかもしれません。判決も、責任は認めたものの、賠償額では要救助者の落ち度を考慮し、8割を減額しました。しかし、善意であれば何をしても責任を負わなくてもよいというのでは困りますし、自己責任ですべてを片付けるのも乱暴でしょう。この判決によって救助に関わる人たちが萎縮し、助けられるべき人が助けられなくなるのではないかという批判も聞きますが、判決は決して結果が生じれば責任を負うべきと言っているわけではありません。専門家の判断は尊重するが、明らかに間違っていれば責任を負わなければなりませんよ、と言っているわけです。実際の救助活動の詳細が報道されることはありませんが、素人目にもさまざまな疑問が浮かぶ経過をたどっています。また、人の命に関わる以上、気持ちだけではなく、技術、知識、装備も一定水準以上のものを備えていなければならず、これが欠けている者はむしろ関わるべきではない、あるいは関り方を考えなければならないのではないでしょうか。

 裁判を起こした遺族は、この事件をきっかけに、山岳救助の実態を知ってもらいたい、状況が改善され、助けられる命が失われることがないようにしてもらいたい、と考えています。

 これから冬山の季節が始まります。遭難が起きないことが一番ですので、みなさん、気をつけて遊んでください。

  ちなみに、これがガイドツアーでの遭難だったとしたら裁判所の判断に影響はあったでしょうか。救助隊の責任の有無には影響がないでしょうが、過失相殺の考慮において、遭難したことに関する落ち度の評価が重くなるでしょうし、被害者側が負う責任の多くはガイドが負うべきものとされるように思います。



2012年11月30日 Tetsuki Namba