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トマリヨトマレ!

 11月11日泊原発の廃炉を求める訴訟を提起しました。
 原告は612名、賛同者は約1800名、7月に有志が「泊原発の廃炉を目指す会」を立ち上げ、学習会や講演会を開催して賛同者、原告を募ってきました。組織を頼らず、市民一人ひとりに呼び掛けてきた成果としては立派な数でしょう。福島原発事故を受けて広い層で関心が高まっていたのだと思います。 (目指す会のHP http://tomari.sakura.ne.jp/ )
 もっとも、これまでの日本のエネルギー政策の大きな流れを変えようというのですから、まだまだこれから賛同者を増やしていかなければなりません。訴訟は、その1つの手段ということになるでしょう。

 訴訟で求めているのは、原子炉の稼働を止めること、核燃料を冷温停止し、安全に保管すること、そして、再び稼働することがないよう廃炉措置を取ることです。

 訴状を書きながら思ったのは、われわれがどこまでの安全を求めることができるのか、裏返せば、どこまでのリスクを甘受しなければならないのかが改めて問われているのだ、ということです。
 最近開催された有識者の会議では、推進派が多いから当然からかもしれませんが、自動車を持ち出して、事故の危険性を受け入れて社会が成り立っている、原発も同じだ、というような言い方をしている人がいるようです。
 福島原発事故によって生じた(あるいは生じつつある)悲惨な状態はもう過去のものとして忘れられてしまったのでしょうか。原発事故は自動車事故と比べられるレベルのものなのでしょうか。

 事故後に出た判例解説の本に原発運転差止訴訟の裁判例解説が加えられていて、安全性とは絶対的安全性ではなく、災害発生の危険性を社会通念上無視しうる程度に小さなものに保つことを意味するという判示を受けて、福島原発事故後、絶対的安全性を想定することはできないとしても相対的安全性の判断基準は変わらざるを得ないだろうと書かれていました。
 安全性の判断基準そのもの、あるいは基準への当てはめが誤っていたのですからこれを変えなくてはならないことは異論のないところでしょう。問題はどこまで厳しく考えるべきかですが、相対的な安全性であっても厳しく考えていけば絶対的安全性と大差はなくなります。そして、ひとたび事故が起きればどのような事態になるかを目の当たりにした現在では、確率は低いから事故の危険性を受け入れてもよい、それより優先すべきものがある、とは考えることはできないのであって、簡単には安全性の水準を下げることはできない、と私は思います。

 この点はわれわれ一人ひとりが考えなければならないもので、現実に起きた事故,その被害の実態から目をそらさず、それぞれが責任を自覚し、決断することが求められているわけですが、問題は判断の前提となる情報が操作されたり、隠されたりする可能性があることで、震災後の国、東京電力の対応や報道を見れば今後もその可能性は高いでしょう。
 弁護士としてできることが限られていますが、この訴訟や全国で起きている訴訟の中で明らかになった事実など情報提供を続けることも私たちの重要な役割だと思っています。


 



2011年11月17日 Tetsuki Namba