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森の中の裁判 えりもの森1

2008-1109-1.jpg先週、裁判で伐採の違法性を争っている森林の伐採現場に行って来た。私自身は3度目だが、今回は裁判官、相手方弁護士も同行し、裁判で問題になっている伐採現場の様子を実際に見てもらった。
現地での進行協議手続というものだが、裁判官が現地に出向くことはそうそうあるものではない。私たちは書面のやり取りや写真だけではここがもともとどんなすばらしい森で、それがどうして森を育てると言う名目でこのような状態にされてしまうのか、を伝えきることは難しいと感じ、裁判官に実際に見てもらうことをかねてから望んでおり、それが実現したことを原告側関係者は、青空裁判、森の中の裁判と呼び、喜んでいる。http://nctokachi.kitaguni.tv/e720301.html

 

 

 

 

 

2008-1109-2.jpg紅葉で色づいた針葉混交林の中をしばらく車で走ると、問題となっている伐採現場が現れる。太い木はほとんど残っておらず、あちこちに木の切り株が広がり、切り株の間を草が埋め、さらにその中に植林されたとど松の苗が整然と並んでいる。伐採から3年が経過しているが、周りの森とは空気が違うと言うか見ていると寂しく、悲しい気分が沸いてくるところは変わらない。
伐採前の様子を見たことはないが、周りの森の様子から想像するといい森だったのだろう。
北海道は、平成14年に、森林管理を木材生産から森林の公益的機能を維持推進に変換したのに、なぜこんなことが行われてしまうのだろうか。1つは、想像力が欠けている、あるいは偏っているのではないだろうか。環境問題に限らず、想像力は重要だ。
同じ森を見ても、生態系や森が形成されるまでに要した時間などではなく、木材価格しか頭に浮かばなければ、伐採することへの抵抗は薄くなってしまう。
条例だけが変わっても、現場の意識が変わらず、想像力を欠いていれば、名目が変わるだけで、それまでと同じこと(あるいは同じ経済的効果をもたらすこと)が行われてしまうのだろう。
自然環境の問題は、この森林の問題をはじめとして、人目に触れることの少ない場所で、声を上げることができないものを相手に起きることが多い。だから、それを拾い上げて、代わりに声を上げることに意味があると思っている。声を上げることで、おかしいと思う人が少なからずいることを相手に伝えるだけでなく、できれば多くの人に想像力を働かせるきっかけを与えられればと思う。


2008-1109-3.jpgSTVの報道、動画はこちら。

 



2008年11月 9日 Tetsuki Namba | トラックバック(0)

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